タダより高いものはないといいますが
それはどうなのでしょうか
おそらく、その人の心の置きどころというか、どのようにそれを受け入れるかで、色んなことが大きく変わっていくのかもしれません
かれこれ8年ほど前、ヴィパッサナー瞑想を受けに行った時、ある感銘を受けたのです
あれは、完全にボランティアで成り立っており、建物、寝る場所、食べるもの、光熱費、水道代などは布施的に得られたものでまかなわれ、管理する人や先生やスタッフ、食事を作る人などなど、色んな部分がボランティアで回っているのです
すごいよね、、これが全世界にあるのだから
内情まで詳しくは知りませんが、、何度もヴィパッサナーに参加していると、先生として声がかかります
もちろん、、10年とか、年に何回も行っている方が声をかけられてたので、それなりの経験者です
ま、とにかく
私がヴィパッサナーに行って思ったこと、、、おそらく私以外の人も痛感していたのが、奉仕される事の素晴らしさ
こんな私が、という気持ちになるわけでもなく、ただただありがたく、それを気持ちよく受け取り、それを自分への集中に向けていく
なんとなくそんな感じ
奉仕されるってことなかなかないよね
逆にヴィパッサナーでは奉仕することもできます
それもなかなかの体験だと思います
日常でもボランティア活動はできると思います
が、なかなかそこに身を置くのは難しいかもしれないです
ともみは勝手に奉仕キャンペーンを毎月行ってるのですが、おそらくそんな事だれも気づいてないと思います
気づく必要もないんだが…
毎月一度、インヨガクラスをマイソールの生徒さんへ向けてフリーで開催していたのです
ついでに、って感じでやってもらってたんですが
ある時、イントラ仲間の方が来てくれて、フリー開催についてとても恐縮してたんです
そうだよね、、と思いながらも、周りは当たり前だと思っているのです
だって毎回フリーなんだもん、それに慣れてるし、そりゃそうだよね?的な
私が勝手に奉仕していることで、無理に有り難がる必要もないし
でもこれってエネルギー的にどうなんだろうか?とふと思ったのです
私的には奉仕的活動キャンペーンが出来て、そんな事を普通の生活に取り入れる機会ないからイェイ!って感じです
しかし、受ける側はどうなのだろうか?
タダだから受ける、ラッキー!とりあえずやっておこう
なのか、
タダだから、その奉仕を受け止めようという気もち
なのか、
私だったらどう感じるのだろうかとふと考え
どちらが身になるのか、、、
って後者じゃんね
でも、お金を払って渋谷に練習しにいくときも、一回の練習にすごく「有難い」を感じるのです
なにも特別な事をされるわけでもないけども、、一回の練習しにいくその時間がとても大切に感じられるので、ありがたい気持ちでいっぱいなのです
だから、タダなのか、お金を払うかは関係なく、受ける時には全身で受け身で行くと、本当に心からのありがとうがやってくるのだと思ったのだ