AHTYAM

ヨガの練習や日々の日記。 ヨガの先生のブログじゃありません(゚Д゚*

普通の人のカルマ

カルマとは業というけど意味わからないよね


前世からカルマを背負ってそれを今世の課題としてなんのかんのするとかなんとか…


そうなると、カルマと向き合うのが嫌で、「そんなもんねーよ」、ってなると思うのだ



でも、もっと簡単にカルマを説明すると


カルマは記憶


だそうです


誰だってもっている記憶


死に直面するときも、今世のカルマ=記憶で次生でどう生きるかを決めることができるんだそう


カルマには良いも悪いもないので、その記憶が必要なら引っ張り出して、今を生きるのが良いのだと思う


私は特別な存在ではない


存在して当たり前なのが私

感覚的に同調が自然とできる時

体感としてその場の同調ができるのはとても重要であり、それが出来るととても気持ちが良いものです。



例えば、サッカーや野球観戦でみんなで自然とウェーブを作るとか、みんなが同じ心を持ってデモを行うなど。


また、プロの合唱団の歌声が素敵なのは、その歌い手がみんなで同調しているから。


などなど。


一人ではなく、二人以上の人が呼吸を合わせた時にだけ発生する空間的同調は、体感としてとてもわかりやすいです。


アシュタンガヨガのレッドクラスはプライマリーのポーズの順番、ヴィンヤサをある程度知っていることが条件です。


そうすることで、カウントの見直しをしやすいということもありますが、空間的な同調による瞑想も同時に行えます。


面白いお話で、

12月に108回の太陽礼拝を行いましたが、数名の人から「カウントの間隔を私の呼吸に合わせてくれていたんじゃないのか」…と言われました。

私は誰に合わせるわけでもなく、ペースを変えずになるべくカウントを取るこのに集中していただけ。

それぞれの生徒さんは、おそらくその場の空間に同調して呼吸がメトロノームの同期現象と同じようになったのでは…と思います。

この同期現象って実は動物的な本能による能力だそうです。人間は一人になってきているため、その能力によって行動するのが苦手らしい。

空間的同調がヨガでも味わえるレッドクラスって凄いね。それもまた一つの動物的感覚を目覚めさせる一つのツールなんだと思います。

やっと立春

一月はあっという間に過ぎるとはいかず、随分と長くかんじ、そして二月もまだ上旬か…今年は日々が長く感じる。


立春はお参りをします。
おみくじ発祥の地、戸隠へ。
戸隠のおみくじは難解ですが、中身を知ればそれはその年の道しるべとして役立ちます。

今年はお伊勢さんの神さまに感謝する年とでました。

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その後は恒例の雪遊び。
雪の中ザクザクです。
社が埋もれてます。

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ヨガは日常だけども、それにはとらわれずに、やりたい事ややるべき事、見直す事、取り込まれる事、色々と考えながらも身を任せるしかなく日々を過ごし、心配事は尽きないけれど、行き着くところには行けるのかなぁ…と思う。


「気分良く過ごせているのか(精神の健康)、元気に過ごせているのか(肉体的な健康)」
小児科医の真弓定夫先生がこんなことを言っていて、当たり前やん…と思うんだけど、そこに着眼せねば、ヨガをやったって、健康法を色々やったって、病気をしていたのならなおさら、本質から遠のき盲目になりかねない。


気分悪く元気がない、そしてそこから何もしようとしないのは、そこにとどまりたいからなのかもしれない。


矢印を変えるには、良い世の中になって欲しいと切に思う気持ちが生まれないと、なかなか気分良く元気になれないかもしれないね。



毎日の練習で気づかないこと

ここ一ヶ月練習をお休みしてみました。


一ヶ月も…


毎日の練習がまるっきり練習なしって、結構衝撃


でもなく…ゆっくりしてたなぁー、、くらいで


ヴィパッサナー瞑想で10日間練習をやめたときよりも


ダメージ少なく練習再開してます


ヴィパッサナーの時は、食事制限、行動範狭い、思考も停止で、とにかく全てが止まってた


今回はバケーションのつなぎからお休みしてたから、食べて、遊んで、喋って、と普通に暮らしていたからか…


筋肉が落ちたくらいで、逆に体は柔らかくなり、筋肉がなくなったからなのか、筋肉痛もなかったです


ただそれだけなんだけど、やっぱりいままでと違うことは、練習の質だ


日々の練習って凄いなぁと感じたのは、コツコツとした変化って見えにくいけど、繊細な部分を見分けながら練習できていたのだと


体に必要な筋力がついて、体力がついて、だから感覚が見えてくる


意識の向け方、集中の仕方、自分を大事にする気持ちまでもが、まったく違うのがわかる


なぜ練習が「日々の行い」に入るのか、何年もやり続けなければわからないことは沢山あるし、これからもわかることが増えてくると思う


でも、立ち止まるとよりわかることもあるのでは


The first duty is take care of the body, which is the means to the pursuit of spiritual life.


といった言葉がありますよ

10年ぶりの🇨🇦カナダ🇨🇦

10年ぶりにカナダへ🇨🇦


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バンクーバーで一緒に働いていたジャスミンのもとへ



いつも日本にばかり来てくれていたので、今年は私が行く!



今はCanmoreという小さな町へ引っ越し、Banffにあるとあるアウトドアギアショップのマーケターとして働き始めたジャスミン


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バケーションで行きたいんだけど…と相談すると、お家へおいで!と言ってくれました



今の時期はマイナスの寒い世界だけど、美しいマザーネイチャーを見るために、感じるために極寒の地へ辿り着きました


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しかも、10年ぶりにジャスミンの愛犬にも再開



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子犬の頃はよく預かったりもしていたからか、私のことを覚えていたらしく、30分くらい鳴きわめいてました



極寒の地は寒いけど底冷えもせず、案外大丈夫だったり…



小学生なんて、ヨガパンツにパーカースタイルが流行っているらしく、寒そうだけど元気だし…



部屋の中は常にあたたかいから、毎日映画を最低でも3本くらいみて、だらだら過ごしてました


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映画をここ一年ぐらい全然みれてなかったからか、二週間まったく映画三昧にあきません


あと二週間だらだら出来そうだけど、現実に戻ろうと思います


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わびしさがない

きらびやかなクリスマスのイルミネーションは心が踊る


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室内のツリーも暖かさを感じる



でもなんだかわびしさも感じる




日本ってクリスマス終わったら



正月だぁ〜って次の日からはやがわりだから



わびしさもなんもないよね



お正月大好き



心がフレッシュになる



今の時期はお正月にウキウキする

冬にやるべき事

冬って寒い



だから眠いしお腹もすく



冬は眠らないと、春の芽がでない



だから



たくさん栄養をとって



たくさん寝る



東洋医学的に。




でも、動くのも大切



動くことをやめたら、それは退化と劣化につながって、身体が衰えれば心も衰え、考えも意識も衰退するから




しかし…



動くことについて、あんまり言わない人は



動くことの大切さよりも



今は心を労わることに労力を向けているのだと思う



動けぇーーーって言ってる人は



今は体の感覚に目を向けているのだと思う




私は自分には後者だけど



前者が必要な人もいるから、自分の体のと心と相談した方が良いと思う

人を判断する時

人を判断する時って


見た目だったり


相手の出方とかで


その人となりを決めると思う


でもそれは、自分にとっての判断で


それがその人自身の中身でもなんでもなく


主にそれは、自分の事になる



相手は自分の写し鏡


相手をどう見るか、何を見るかが


自分自身と対面していることになる


周りがいい人ばかりなら、きっとそれは本当に幸せなこと

自分らしく生きるとは

自分を出すのは悪い事ではないかもしれないけど


出しすぎて周りと距離がでてしまわなきよう


コミュニティの場所では気をつけなければならない


今日、そんな事にやっと気づいた


出す場所と控える場所の区別がわからないのが難点

母の災難=ひまし油で解決

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なにかと母は、自分自身に色々な災難がおそいかかる


どうしてそーなった…をよく見てきた


家の中にいるだけなのに、顔に痣ができたり(みずから蛇口に激突)、足にでっかい青タンつくったり(勢いよくぶつける)


以前は死にそうになるまで肺炎を我慢したり…(それだけはやめて)


心配でしかたありません



そんな心配があるなか、さいきん連絡をとっていなかったので、今日こそは母に連絡をとろうと思ったら、向こうから連絡してきた(さすが親子)



「ひまし油を調達せよ」



以前あげたひまし油がなくなりそうだからとのこと


そこから、ひまし油のすごい効果について語り出した



数週間前、ボランティアで施設の昼食を作っていたところ、油が手にビチャーっとかかってしまった


その時は冷や水でしか対処できず、家に帰ってから直ぐにひまし油をぬると、ひりひりしていた患部がまたたくまに引けていき、その後もひまし油をつけ続けたら、患部は水ぶくれすることなくよくなったのだとか

おそらく、すぐにひまし油をつければ何事もなかったはず、だが、、すぐにひまし油をつけれなかったことが無念



さらに、数日前、蜂にさされた


しかも、両手に


手のひらはぷっくり腫れてしまい、薬局に行って腫れ塗りぐすりを買ってつけていたが、いっこうによくならず、


そーだそーだひまし油!と全体にしっかりひまし油塗ってみると、みるみるうちに腫れが引いた



こんな体験から、母は感激感激と言わんばかりに、こんな体験談を教えてくれ、ひまし油を欠かせない、となったのです

たっぷりお休み

旅行したり、仲間と和気あいあいとしたり、1人の時間を過ごしたり、学んだりの盛りだくさんなお休みを一週間ほど過ごした



ゆっくりできたし、楽しかったし、発見あり、学びあり



ヨガから離れた時間を過ごして、久々にヨガをやってみると、


とっっっっても体が重かった!!




ちょうどマイムーンでもあったから、休まざるおえなかったんだけど、久々感がありすぎて、気持ちがすでにそーゆー方向な思考だったんだろーな



旅行は雨で登山が中止になり、代わりにお宿に泊まりに行くことに



一日一組だけ泊まれるおより亭
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食事はお宿の人が一つ一つ丁寧に作ってくれて、さらに囲炉裏で川魚や山菜を丁寧に焼いてくれます
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おじさんが仕留めた鹿肉やら、近所のお野菜やら…食べきれない人の分まで平らげたよっ




長野県大鹿村はゼロ磁場があることでパワースポット人気があったらしく、分杭峠が一番有名らしい



私は知らなかったが…



お宿の人オススメのゼロ磁場スポットに行ってみたら、色々な事が起こりました…


ゼロ磁場って感覚が敏感じゃないと分かりづらいかも?と思ったけど、ちゃんとみんな感じる事ができます!



ゼロ磁場、、だからないにっ!!って感じだけど、体験としては楽しかった

ポーズにとらわれてはダメなの?

アシュタンガヨガはアーサナにとらわれすぎる



とか




なんちゃらヨガは凄いアーサナばっかりやってヨガの本質ではない




とか





アーサナ、ポーズにとらわれてるから、もっと内面や哲学などもやらなければならない





とかとか…




どっちでも良いと思う





どのみち、ポーズから入っても、きっとついてくるものはついてくるし、どっぷりポーズにはまったらそれはそんな人生なのでは…ないだろうか




それはそれで、楽しいだろうし





それをやってる人が悪い人でもないし



そもそも、どーゆー意識でヨガやってるかなんて、見てわかるもんじゃない




でも、
なんとなく、どっちもエゴイズムが見える




訴えられると、えっ、、てなるじゃん







ポーズと向き合ってるの



それだけさ

ひまし油の効果が懐疑的すぎる

ついこの前山に登った時に、お湯を沸かすために持っていったガス管が壊れていたのに気づく


ガス漏れしてしまうから、栓を塞ぐためにバーナー部分をくっつけたまま下山


このまま捨てれないから使い切らないと…とゆーことで、その日からガス管使ってお湯を沸かしお茶とかコーヒーを飲む生活をすることになった


使っているのはモンベルのジェットボイルとゆーもの


90秒でお湯が沸くからなかなかガスが減らない…良いんだけど今は早くガス無くなってほしーの



そのジェットボイルなんだけど、お湯を入れる入れ物の蓋があんまりちゃんと閉まらない



ある時…ガンガンに沸騰したお湯でお茶を入れるために、茶葉の入ったポットに移し替える時、そのまま蓋が取れてポットを持っていた手にドバーーーって一気にかけてしまった!



熱い!!やばい!!


焦ったけど直ぐに頭に浮かぶのはひまし油



直ぐにひまし油を付けてティッシュで保湿


しかし、ヒリヒリしてきた


もっとたっぷりと保湿しなければ…と思いTシャツを破いてたっぷりとひまし油を浸して手に巻きつけラップ→包帯で保湿



直ぐにヒリヒリは治った



実はお腹にもお湯がかかってたからひまし油を付けておいた


そこもヒリヒリは治る



夜になり手の湿布をとったら、赤くもなくヒリヒリもせず



あれ?火傷しなかったのかな?みたいな



でも、お腹は湿布をしていなかったので、ちょっとヒリヒリ



今は手は何の問題もない



お腹は火傷の跡が残っている



比較して、どっちかってゆーと手の方が重症だったのに、手の火傷はまったくなく、比較的軽傷のはずのお腹は火傷の跡が少しのこるとゆー



こんな話を母にしたら、とっても怪しそうな顔してました



そんな母も何かあるとひまし油使うくせにw

いつかはやってこない

いつかは…なんて考え心に留めていたけれど、それだけ



行動なしではいつかは現実にならないんだよなぁーーー



わかってるくせに、そこまで本気に考えてなかったんだと思う



いつか先生を厚木に呼びたい



さて、何年経ったのか



生徒が増えないと呼べない




生徒が少なくっても大丈夫だよ、とはいわれても



申し訳なくてよべない



とか言い訳



私ごときで生徒の数なんて増えません




増えたり減ったり




そもそも増やそうとも思ってなかったから、いつかはもちろんやってこない



誰か呼んでくれないかなぁーーーとか人に頼りたい気分




本気になるべきかいなか



よくわからない

水が流れる音がして癒される

この時期になると田んぼ用に側溝にお水が沢山流れる



私のお部屋の外側に田んぼ用の側溝があるから水が流れる音がして癒される



水が流れる音ってイィ〜



川の近くに住んでるみたいでイィ〜



ちょっと蒸し暑くなって来たから、より水の流れる音が涼しくさせてくれる

また風邪ひいた

5月から6月にかけてまた風邪ひいた



弱ってる



弱った原因はわかってる



寝る時間が少ない




ねればいーのよ、ねれば




仕事より、ヨガより、食事より



睡眠




寝ることも仕事




今日は久々に体も心も元気一杯で




なんだかとってもスッキリ!




昨日、シンギングボールの講座を受けて、


トリートメントされたりしたり、、一日中やってたからかも?




元気が一番

視野の狭さ

視野の広さ







許容の広さ







比例する




許せる、何も思わない=その時の視野の広さがその程度ある




イラっとして許せない=視野の狭さを自覚する



知恵をつけて物事に対応したり理解を深める事が大切




ヨガやってて夢中になりすぎて頑張りすぎてる時、そればっかり気になっちゃって他に大事な事がおろそかに



前のポーズは?立ちポーズは?呼吸は?目線は?



冷静になって心を落ち着かせて執着をなくして明日の自分のために今日の自分を許してみる



もちろん、ヨガだけじゃなくて…あんな事やこんな事も

取り組み

好きなことだけではなく苦手なこともやっていく…


好きなことを伝えるためにも苦手なこともやっていく…



日本に帰還してから出会った私のアシュタンガヨガのお師匠さんは、色々とアシュタンガヨガについてのワークショップを開催したりとちゃんと伝える事にしっかりと励んでいた



横目で見ていた私的には、私にはそんなに精力的に人に働きかけられない、なんて思っていたのだ


そもそも実践、経験が少ないし、知らない事多いし、探究心も少なかった



がーしかし、指導経験が長くなるにつれ、色々な人に出会い、探究心が増え、そんなこんなで苦手な人前にでる事をやっていこうかと、、ちゃんと思えるようになった



私が伝えなきゃいけないわけではない



しかし、地元でアシュタンガヨガを広めたいのに、家の中にこもってるのも変だよね…


頑張って家の中からはいだして、もっとアシュタンガヨガを広めていこう



伝統的なヨガといわれているヨガではなく、なぜアシュタンガヨガなのか



そこも、実践したり探求することでわかることがたくさんある

カルマ=良い行いをする?

ヨガ的なのかはわからないけれど


カルマを浄化するために、今世で良いことをする


なんてことをTTで習った気がする



確か…



なんだか悪いイメージの多いカルマさん



カルマとはその通り行いのことであって



前世の悪い事を浄化するためではなく



今、何かに直面した時に、其れ相応の対応と行いをする事で、それらをクリアする…みたいな事



今世で出会うそれらは宿題であって、毎日のようにその宿題をクリアしていっている…みたいな感じ



何か行いをして宿題をクリアしていく



ヨガをしたり人と向き合ったり…



様々な活動をしたり革命を起こしたり…



でも、そこに批判をおくとまたカルマが増えてしまう

ヨガをやる理由

ヨガを始める理由は人それぞれ



きっと最初は健康的な意味で始めた人がほとんど



ダイエット、精神面、体の歪み解消、ストレス解消



どれも健康を大事に思うからこそ



でも、ヨガを段々深めてゆくと、ぶち当たる壁がある



なぜヨガをやるのか…



ヨガを始めた当初は体の変化が顕著で効果がわかりやすい



しかし段々と敏感になる体と心は変化が良い方向に向いているのかわからなくなる…



で、これでよいのか?このやり方で大丈夫なのか?色々と不安になったり、ヨガの意味もわからなくなったりする



そこで、振り出しに戻ると、健康という言葉



ヨガは健康の為にやるものなのか?



ヨガを深めていくと、修行めいて来てしまうから、健康のためとかどーとかって…ってなりがち



とくにアシュタンガヨガ!!



グルジは、もう末期の重病な患者を医者から無理やり押し付けられた…みたいなかんじで、もうあとは死ぬのを待つだけな人々にアシュタンガヨガを指導し続けた



体を支えてポーズをとらせ、できるものはやらせる



そんなこんなで、末期の人々も心が穏やかになって、そして病気による痛みだって和らいだ



そして幸せな気持ちで星になった



人は誰でも死ぬのだから、末期だろうと死ぬまで生きる為に、生きることへの喜びを得る資格はあるはず



痛みに耐えるだけ、死ぬのを待つだけではないという事



心身の状態がどこにあろうとも、ヨガをすることは健康へと繋がるし喜びのある人生を送れる


健康の為にヨガをやる事はもても健全な事



自分の人生を豊かにする為に、続けていったり、人に伝えたりしていけば良いのではないかと思う、、今日このごろ
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